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小学生と宗教観【多様性を認める心を育む】

バイリンガルキッズ
ピンナポ
ピンナポ

お友達に、ピンナポは神様の勉強してないから、地獄に行くって言われたよぉ!

ひじりママ
ひじりママ

あらあら。そのお友達はきっと世界には色々な宗教や思想があることを知らないのかな。

ハーフやミックスと言われる子どもたちや母国を離れて海外で暮らすバイリンガルの子どもたちは、家庭の文化と住んでいる国の文化が違えば違うほど、自分を確立するアイデンティティが周りと異なっているということに気づくことでしょう。

中でも、「宗教の違い」は、顕著に感じるトピックです。

例えば、現在7歳の娘の例をあげたいと思います。

イタリアの7歳児と言うと、数年後にプリマ・コムニオーネという聖体拝領の大切な儀式があるため、ほとんどのクラスメイトはその勉強をするために教会に通い始めます。そうなるとクラスではちょっとしたキリスト教ブームが起こるわけです。休み時間の遊びも、教理を盛り込んだものになったりします。

もちろん、教会に通わない少数派の子どもたちは仲間に入れてもらえません。イエス・キリストを信じていないと酷いことを言われることもあるようです。

本記事では、多様性を認め合う心を育む子育てについてお話ししたいと思います。

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住んでいる国の宗教をよく知る

イタリアでキリスト教を選ぶということ

私の場合、住んでいるのはイタリアです。イタリアは、カトリックの総本山であるバチカンがあり、敬虔なカトリックの国です。年々信者が減少しているとは言われていますが、イタリア人の74%(2017年調べ)はカトリック教徒で、国民にはカトリックの教えに基づいた価値観やアイデンティティが根付いています

八百万の神の国、日本で育った私は、宗教に対する抵抗があまりありません。宗教は儀式ごとに違うのが当たり前だし、家に仏壇があったって、自分が仏教徒だとは言い難いです。

日本人の宗教観はとても緩いので、イタリア人と国際結婚した人は、知らず知らずのうちにカトリックの習慣にどっぷりはまっている人も多いでしょう。そして、大半の人はお子さんに洗礼を受けさせていると思います。

イタリアの文化を尊重する上で、生まれた子どもに洗礼を受けさせることは自然な行為だと思います。洗礼式には赤ちゃんのお披露目的な意味もあるので、イタリア人家族もそれを望んでいるし、しないなんて選択肢はないかもしれません。

ただ、少しだけ気にかけて欲しいことがあります。

幼児洗礼を受けるということは、子どもの意思を尊重せずにキリスト教徒にさせると言うことです。それは、一神教の子どもを育てるということです。健康を祈願する日本のお宮参りのような感覚の方もいるようですが、意味合いは違います。

もし洗礼を受けたお子さんが成長し、キリスト教徒をやめようと思ったら、洗礼を公式に撤回するための除名申請をして受け入れられない限りキリスト教徒をやめることはできないのです(イタリアのカトリックの場合)。

深く考えすぎだと思われる人もいるでしょう。でも、宗教は神聖なものであるがゆえに、決断は軽い気持ちでするべきではないと思います。

信仰があることは素晴らしいと思います。

でも、もしご自身に信仰がないのであれば、イタリアの宗教儀式に参加する前に、ご家族とあなたの宗教的スタンスをしっかりと話し合われることをおすすめします。そうしておけば、子どもの成長とともに付きまとう様々な宗教的儀式にどう対応するかいちいち悩まなくて済みますよね。

イタリアでキリスト教を選ばないということ

イタリアでキリスト教を信仰していないということは、少数派として生きると言うことです。

しかし、最近はカトリック教徒であっても、教会に通っている人や教理に従っている人(離婚してる人の多いこと!)は少ないので、信仰がなくても日常生活に支障をきたすことはないと思います。

また、パートナーやその家族の信仰心が厚くない場合は、子どもに洗礼などの儀式をしなくても問題にはならないでしょう。イタリア人同士のカップルでも信仰は子どもが自分で決めるものだと考える家族も増えてきています。

おそらく一番の壁は、子どもが就学し、周りとの違いを認識し始める時期ではないでしょうか?幼稚園なら親がある程度友達を選択できるかもしれませんが、小学生ともなると友達の輪は自分で作っていきます。

子どもは素直で時として残酷なので、教会に通う多数派の子どもは、教理の言葉端だけをとらえ、偏ったインプットで排他的な発言をしたりします。カトリックは信教の自由を尊重する宣言しているのに、不思議ですね。

他人の子どもの思想を変えることはできませんが、せめて自分の子はそのような当事者にならないようにしたいものです。また、少数派の子どもを持つ場合は、真に受けず、冷静に考えられる力をつけてあげたいです。

あなたのお子さんは多数派ですか、それとも少数派ですか?

宗教はタブーじゃない。家庭でも話しましょう。

子どもに宗教をどうやって伝えるか

小学生くらいの子どもは、仲間意識が芽生えてくるので、ちょっとした違いで仲間外れにしたりすることもあるでしょう。そうやって社会性を身につけていく時期なので、ある程度は放っておいても大丈夫だと思います。

ただ、宗教が原因で深刻ないじめなどがあれば、直ちに学校に相談しましょう。ほとんどの先進国では宗教の自由が認められているので、先生が中に入ってくれて解決することもあると思います。

家庭においてはと言うと、どんなタイミングでどうアプローチするか悩みますよね。

ジャーナリスト・育児コラムニストで『Relax, It’s Just God: How and Why to Talk to Your Kids About Religion When You’re Not Religious.』の著者であるWendy Thomas Russell氏がある記事でこんなことを書いていました。

特定の方向性や特定の神、特定の利益へと子どもを導くことよりも、倫理的であること、モラルがあること、自分を大切にできること、批判的思考を持てることの方が重要です。そのためにも、宗教の話題をタブーにするのではなく、日頃から話せる環境にしておくことが大切です。

また、彼女自身は無神教者で、同じような家庭のために、宗教教育ガイドラインを提案しています。

4〜6歳:
スピリチュアルな考えに興味を持ち始めます。超自然現象を受け入れ、想像力が豊かになります。「善悪」も区別できるようになります。どうして?なんで?の質問期でもありますね。5歳くらいになると親が思考を支配するのではないと理解し、学校でお互いの考えを共有します。

7歳・8歳:
この年齢までに、家庭で宗教について話せる環境ができていたなら、自然と宗教について話す機会が増えるでしょう。「世界がどうやってできた」や「人間がどこからきた」などに興味を示す年頃でもあります。色々な信仰があることを伝えてあげ、子どもの考えも聞いてあげましょう。宗教の違いに注目するのではなく、宗教に共通していることを教えてあげるとよいです。どの宗教にも聖典があり、来世観や行事がありますね。

9〜11歳:
宗教に関する知識を深めてあげるといいでしょう。思想の違いが原因で起こる対立について話し合うのもいいですね。「神の意志」と「自由意志」も年齢相応なトピックです。生活の中で宗教にまつわるものを見つけたり、哲学的な話を好む子どもには「神が世界を創造したのか、人間が神を作り上げたのか」について質問してみるのも面白いです。

12〜13歳:
親の影響力も、この年齢くらいまでです。これからはどんどんと外の情報に目を向けていくでしょう。それと同時にクリティカル・シンキングスキル(批判的思考力)がフル回転する時期でもあります。信仰の心理的・政治的側面に興味を示し始め、率直な意見を交換できるようにもなるでしょう。多様性や寛容性の大切さ、宗教や肌の違いなどで人を判断しないことの大切さを教えてあげましょう。

無信仰の親に対する助言とは言え、信仰のある親に対しても同じことが言えると思います。偏った宗教観は時として、倫理やモラルに欠けてしまったり、批判的思考力の妨げになってしまうこともあります。

多様な考えを尊重できる子育てを心がけることが、子どもの脳に健全な刺激を与え、広い視野を持てる人間になれるのではないかと思います。

神話は多様な世界観が身につく教科書

道徳の重要性が見直され、昨年より小学校でも「特別の教科」として道徳が加わりました。多様な考え方に触れ、思考を深めることはとても大切です。

ヨーロッパでは「宗教」の時間に道徳を教えることが多いようですが、聖典にはたくさんのモラルや教訓が書かれていることを考えると納得がいきます。

家庭ではどのようにして多様性を育みましょう?

多様性をテーマにした絵本を読み聞かせるのもいいかもしれません。

でも、私が密かに効果的だと思っている方法は、世界の神話を読み聞かせることです。

古代から伝承された神話は、面白いだけでなく、道徳的価値や教訓が盛りだくさんです。それに、全く別の国の神話でも、共通している点がたくさんあったりします。知れば知るほど、表現方法が違えど、人が求めている答えは似通っているんだなということに気づかされます。

日本神話やギリシャ神話など手に入りやすいものから初めてみてはどうでしょうか。

我が家で読んでいる神話です。イタリア語ですが、このシリーズは内容が濃くてお気に入りです。

まとめ

宗教は生活と密接に関わっています。多様性を認める寛大な心は家庭で育まれます

うちの娘は、小さいときから旅や本を通して色々な宗教に触れて育ちました。

娘はカテキズモに行っていないので、学校で冷やかされることもあると言いますが、娘はいたって冷静で、信仰とは誰かを否定することではないということをよく理解しており、偏った宗教観を持つ子にからかわれても全く相手にしていないそうです。

家庭での思想は、子どもの思考や言動のベースでもあります。広い視野と批判的思考力を身につけて21世紀を強く生きていってほしいと思います。

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